山村生活体験宿泊

 豊根村では、20年近く都会の子どもに豊根村の生活を体験させる「豊根村山村生活体験宿泊」活動を行っています。
 
山村生活体験宿泊に指導員として参加した小島より、山村生活体験宿泊・体験記です。
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豊橋駅に降り立った時間は昨年と全く同じ10:26。指導員はちょうど1年ぶり、3回目である。去年の映像がだぶりながらも、飯田線ホームへ。子ども達がいる。あれっ、見た事がある顔が、えー、彼の名は・・・と考えた瞬間があったかどうか、「小島先生だっ」という声(叫び声?)が。覚えててくれたのである。こうして、飯田線の旅が始まった。子ども達は最初からはしゃぎっぱなし。電車内のあちこちに参加する子が散らばっているので、席を行き来して、じっとしていない。去年の5年生がトップの6年生になり、また新たな「力関係」が生まれているのだろう。今回はどんな集団になっているのか、楽しみにしながら、飯田線は北上していった。

バスでは男の子たちが声を合わせて変な歌を歌っている。聞いた事も無い歌だ。それなのに普段から一緒に練習しているのかと思うほど声がそろっている。 聞いてみると、どうも夏に作った歌らしい。なんでこんなにみんな覚えているのか、謎である・・・。

さて豊根に着くと、まずやるのが、ちょっと厳かな雰囲気での入村式。今日から6日間豊根村で生活することになるわけだが、何度も来ている子はなんの心配も無いといった表情。この日は若者センターで我々指導員と一緒に泊まるので、指導員に安息の時間はこどもたちが寝静まるまで訪れない。布団が敷かれると、決まってとっくみあいが始まる。おいおいいい加減にしときなさい、と静め、寝付かせる。ようやく大人の時間になり、ここで始めて落ち着いた気持ちで指導員同士自己紹介をするといった1日目であった。

 

冬のプログラムの醍醐味は茶臼山高原でのスキーである。この日をこどもたちは心待ちにしている。昨年もそうだったのだが、うまい子が多い。僕などスキーを初めてやったのが中学生なのに、彼らは結構家族で行っている子も多いようだ。この日はインストラクターの方がつき、指導してくれる。滑るの早い子は滑り降りてはリフトで頂上へと繰り返し繰り返し滑っている。そんなにうまくない子もインストラクターの方の指導を熱心に受けている。明らかに上達して、3時前には滑り終えた。僕はと言えば、この時風邪をひいており、リフトの駅にはりついて、あまり滑ったという記憶がない。

 

僕らにとってはあっと言う間の6日間が過ぎ去った。彼らにとってはもっと早かったのだろうか。今回は男の子、女の子8人ずつ、各グループに6年生がいるという実にバランスのよいメンバーであった。みんな個性をのびのびと発揮していた。

作った門松、凧などを手に持ち、明らかに不格好にふくらんだリュックを背負って帰途につく。帰りのバスでも例の歌は歌っていたのだが、行きよりは力ない声に聞こえた。
豊橋に着くと、ホームに来ているお母さんと会い、声高らかに「先生、じゃーねー」と言って三々五々散って行く。我々が「ああ、終わった」と思うのはこの瞬間だ。豊橋から僕はひとり。乗るとすぐに小さく富士山が見えた。彼らが歌っていた歌が頭をよぎる。確かに覚えやすい、というか、なかなか忘れられない歌なのかもしれない。

2003年正月、カラーも鮮やかな年賀状たちに混じって、鉛筆で力強く書いた年賀状が何枚か届いた。僕のイラストを気に入ってくれた子ども達。最終日の夜、せがまれて緑色のファイルにゴジラなどの絵を書いてあげた。送り返した僕の年賀状のヒツジの絵も気に入ってくれただろうか。■

 

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